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常長思いハポンの地へ遡る…コリア・デル・リオ(スペイン)

<読売新聞の記事から>
スペイン南部アンダルシア地方を東から西へ横切るように大西洋に流れ込むグアダルキビル川。その河口にあるサンルーカル・デ・バラメダ市の船着き場からは、大西洋が見渡せた。

 今は同国の富裕層が所有する大小のヨットが停泊する保養地。だが約400年前には、世界中に領土を持つ「日の沈まぬ帝国」スペイン海軍の帆船が往来する要衝の地だった。ここへ1614年10月5日、仙台藩主伊達政宗が送り出した支倉常長らの慶長遣欧使節を乗せた1隻が、当時はいずれもスペイン領だったメキシコからキューバを経て到着。それから5、6日ほどたって小型帆船に乗り換え、約80キロ上流にあるコリア・デル・リオ市まで遡上そじょうした、というのが古文書などに記録された史実だ。

 この遡上の旅を、出発地と到着地の両市が中心になって4世紀ぶりに再現する計画がある、と聞いて参加を申し込んだ。

スペイン南部のサンルーカル・デ・バラメダから船に乗った支倉常隆さん(左)。船には約400年前に常長が使ったとされる紋章を描いた旗が掲げられた


昨年10月11日、スペイン南部コリア・コリア・デル・リオの船着き場に17世紀の衣装を着て集まった地元の人たち




 昨年10月11日朝、船着き場に現れたクルーザーに、日本からサムライの装束で参加した常長の13代目子孫の常隆さん(68)が乗り込み、まんじと2本の矢をあしらった紋章が描かれた旗を掲げた。かつて常長が用いた可能性があるとされる西洋風の紋章だ。そして、ここはかつて常長が通った場所。コリア・デル・リオから参加した自営業者のフアン・カルロス・ハポンさん(40)は、「歴史をもう一度体験しているみたいだ」と目を潤ませた。名字の「ハポン」はスペイン語で「日本」を意味するが、ハポンさんは「私は日本」の文字と、富士山、日の丸がプリントされたTシャツを着ていた。

 果てしなく広がる沼沢地や平原を眺めるうちに約7時間がたち、コリア・デル・リオの船着き場と、17世紀の衣装に身を包み、日の丸の小旗を振る大勢の市民が見えた。

 この地は、「ハポン」姓の人々が約600人住んでいることで知られる。地元の郷土史家が1980年代から姓の由来を研究し始め、90年前後から「常長一行から離脱したサムライの子孫では」との説が盛んに唱えられるようになったが、まだ不明な点が多い。

 ここの住民の日本や日本人に対する親近感は格別だ。船着き場から少し歩くと、支倉常長の銅像が立つ公園があった。入り口の標識には「カルロス・デ・メサ公園」と日本語・スペイン語で表示してあった。

 街を歩くと、理髪店の看板にでかでかと漢字で「理髪」。カタカナで店名を表示する洋品店もある。

 「日本」「CASA MUSEO SALA SENDAI(ハウス・ミュージアム仙台の部屋)」と表示された看板もあった。内部に仙台藩のサムライだった支倉常長を描いた扇子や小さな像などの土産物も。経営者のセバスティアン・コルデロ・サラスさん(58)は「ハポンの名字を持っていた祖母への思いを込めて運営しているイベントスペース」と説明してくれた。81年に世を去った祖母の口癖は「ハポンという名字にはきっと大変な歴史が隠されているはず」だった。その歴史に光が当てられる日が一日も早く来てほしい。(藤原善晴、写真も)

 ●あし 成田からマドリード・バラハス空港まで乗り継ぎを含めて15~18時間。マドリード・アトーチャ駅からセビリアまで、特急列車AVEで約2時間半。セビリアからコリア・デル・リオまでタクシーで約30分。

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